2009年03月31日

記憶

3月はあるワークショップに出かけ、そこで知り合いに会いました 
仮にAさんとします
休憩時間に声をかけたのですが、あちらは私を覚えておらず

(会ったのは2年くらい前で、某ファッション誌の方が彼女達がスピリチュアルな事にはまっていると知り、「紹介したら面白いかも」と席を設けてくれました  某スピリチュアル会社の方も合流しての串焼き会合だったのですが、後から来た彼女は,その時点でかなり飲んでいる状態だったので覚えていなくても仕方ないです^^;)

そして同じ場でもうお一人 仮にBさんとして
Bさんはお話する機会がなかったのですが、とてもこちらを気にしていいた様子でした
私はてっきり,Aさんと一緒にいらした某スピリチュアル会社の方だと思って声をかける気になっていたのですが、Aさんに「今日はあちらともご一緒なんですね」と言ったら「え?誰ですか?どの人?」と言われたので、あれ?違う人???と思ったのです 
席も前後で座っていたので、一緒に来たんだなと思ったのですが

Bさんは当初からこちらを何度も見ていたので、多分知っている人なんだろうなと思います
すみません 結果的にご挨拶が出来ませんでした

ちなみに、これは久しぶりに楽しいワークだったので、後ほどレポートしたいと思っています


そのワークの帰りに石屋に寄ったら、以前いらした事のある方にお会いしました
こちらは覚えていました(良かった)
あちらから声をかけて下さり、あれからどういう事が起こったか、そして現在の素晴らしい変化を報告して下さいました
とても嬉しい再会でした

その日は、外に出ると意外と知り合いに会うものだなと思いながら帰宅しました 
・・・まあ、興味の対象が似ているでしょうから、会う確立は高いのかもしれないですね ^^;


そして、昨日は先に記載した代官山でのお芝居を観に行きました 
とてもきれいな場所で、でも広くはなく
多くの芝居小屋も小さいものですが、昨夜は客席が多分25席くらい
確かに,それ以上の席を置くと芝居そのものに支障を来すような空間ですので、この席数でいっぱいいっぱいなのでしょう
「斬新だな」と思いながら端っこに座りました 
芝居専用の劇場ではないので、音が反響して,時々セリフが聞こえにくい事もありましたが、コメディというだけあってだいぶ笑わせて頂きました

さてその場でも来ていたある方とよく目が合い・・・というより、その方が「あ、あの人は」という風にこちらを見ていらっしゃるので
もしかして?と私も思いながら
でも、クライアントさんの場合いつも正面から見ているせいか、脇や斜めから見た時に本人かどうかの判別がつきにくいのです(^^;
あちらも確信がなかったようなので、私もそのままにしてしまいました 


ところで、私は中学生になる頃からずっと、初対面の方に「誰かに似ているんだけど思い出せない」と良く言われて来ました
「見た事あるんだけど、どこでだかわからない」とか「知っている誰かに似ている...気がする」とか、20歳のある時は「何かのポスターで見た!」などと言われた事もあります(←完璧に間違いです 載っていません)

とにかく、「何だか知っているような気がする」というニュアンスの事を本当に多く言われて来たので、やがて誰かがこちらをチラチラ見ていても「ああ、あの人誰だっけ?とでも思っているんだろうな」と処理するようになりました 

そのようなわけで、「もしかして」と思ってチラチラ見ていても、恐らく私の方から声をかける事はないかと思います 
なので、もし外出先で見かけたら、そして声をかけようと思ったら,是非お気軽に「夏目さんですよね?」と言って見て下さい^^
(似ている別人もいると思いますけど)



さて、ずっと言われて来た「何だかわからないけど知っている気がする」という言葉
その言葉の元になる感覚

これは、今となってはですが、皆さんの過去世での記憶なのかも知れないと思う事もあります
こじつけるつもりもありませんが、約30年余に渡りあまりにも多くの初対面の人達に言われて来たので、「そういう事もあるかな?」と考えても悪くはないだろうと、自分に許可を出しました

若い頃は「え?よく言われるんだけど、誰だろう?」と真剣に考えた事もありますが、そのうち「似ているその人」はいないのだと気付いたとでも言いましょうか
だって、数十人またはそれ以上の人が誰も思い出せないんですから

ただ、37歳の時に会ったある方だけは、「過去世で育ててくれたシスターだ 笑ったときのシワを見て思い出した」と言いました 
確かに私は過去世でシスターで、孤児院の子供たちを沢山育てていたようですから、きっとその方はその時の一人だったのでしょう


その言葉を聞いて、私も含めその場にいた3人全員が、スイスのような風景を感じ、美しい自然の中で女の子二人が花で冠や首飾りを編んで遊び、おしゃべりをして笑っている様子を思い出しました 
一人は年長で茶色の髪、もう一人は少し幼く金髪の子でした 
そして、私は丸顔のおばあちゃんシスターで、その子達がはしゃぎながら駆け寄って来るのをニコニコしながら見ていて、焼きたてのクッキーを差し出しました
年長の子はもうすぐ16歳になるので、孤児院を出なければならない日が来る直前の頃だったようです

私はその時、明るく元気に育ったその子がいよいよ旅立つ事を、誇らしく、そして少し切ない思いで見つめている感覚がよみがえり
同時に現代ではほんの5才程しか違わずに目の前にいて、自立してアロマセラピストをしている事に喜びと驚きを感じ、何と言うか複雑でした


昔は、会った途端に笑顔で「プレアデスで一緒だったよね!」等と声をかけて来る人を「何だこの人?!大丈夫か???」と思って訝しがったものですが(まあ、こういう人は今でもちょっと苦手です)
でも、やはり魂には脈々と繋がる歴史の中での記憶が蓄えられていて、それに触れた時に理屈ではなく心が震えるという事は、誰にでもあるのだと信じています


・・・という所まで書いて、久しぶりにタイトルの「魂の記憶」に添った内容が出て来たなと思いました
このブログを始めた時の予定は、こういう話題ばかりを書くはずだったんですが(^^;



posted by 夏目佳弥 at 13:02| 東京 ☁| Comment(1) | 過去世 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月24日

過去世というもの

ブログに書くネタは沢山あるものの、中々書く事が出来ずにいます

魂の記憶と題しているにも関わらず,当初の予定の「魂の記憶」について、何も書いていない事に(以前から)気付いていましたたらーっ(汗)
最近、同じタイトルで本が出ているという事も知り、へえ〜と買ってみたのですが、まだ開いてもいません orz

この年末年始は,少しは読書等も出来るだろうかと思っていますが


さて、今回は「魂の記憶」らしく「過去の生」について取り上げてみます

とても皆さんの関心が集中する過去世ですが、実際どのくらい証明出来るのかと言うと難しいものがあります
中にはご自身で知っていた(夢や瞑想中に体感した)過去だったり、または他の誰かに言われた事があった過去だったり、または全く思いもよらなかった過去だったり、リーディングで出て来るのは様々です

おかげ様で、色々な時代の場所や人の関わりや暮らしぶりを拝見する事があります 
見た目や雰囲気は,その時いらしている御本人と全く違っている事が多々ありますが、多くの方が過去の経験を今回の人生に生かそうとしているのを知らされます 

と言いますのは,過去に生きて様々な体験をした、その方ご自身の別の時代の自分から、今のご自分への励ましやメッセージ、アドバイスが多く出て来る事があるからです

これは厳密には、その時の「自分」という意識からではないのかもしれません
その時の人格、人生の体験を通して、一貫して存在する魂に刻まれた学びからのメッセージです 
ですが、ある意味ではやはり「その時の自分」から「今の自分」へのメッセージと言う事も出来るでしょう

実は時間は線のように成り立っているわけではなく、空間にあちこち存在する点であると言えますし、今現在のこの地球上でもどんどんその感覚は身近に感じられるようになって来ているし、おおくの方がその感覚を感じているでしょう

様々な、思いもよらない体験をして来ている自分の魂からのメッセージは、時に仲介する方が圧倒されるくらいの、強く深い思いやりと信頼と愛に溢れています 

何かで行き詰まっている気がしている「今の自分」にも、まったく想像もつかない位の希望とやる気が漲っている「いつかの自分」が、どこかにちゃんと消えずに存在し続けているのです
驚くべき事です
自分が想定しているよりも、遥かにみんな深く広く大きく、しっかりとどこかにある肉眼では見えない誰かや何かに繋がっているのです 

過去世を知りたいという方は沢山いらっしゃいます
中には相変わらず、現在の自分を否定し認めない為に今の自分ではない自分にすがり、逃避する手段にしたい方もいらっしゃいますが

どうせ過去に関心を持つのであれば、それがどんな人生であっても、そこに、今の自分と切り離した感覚を持つのではなく、大きな意味での自分の側面があるという意識で触れて頂けると、きっと良いのではないだろうかと思います 
自分という存在の、想像を絶する深さに意識を向け、今を生きるという事に思いを向けて頂きたいと思います

もちろん、これは私が思っている事でしかないので、どのような触れ方をするかは各人の自由ですが 

過去世に限らず、なかなか難しいのですが、いつの間にかしてしまっているのに自分では気付かない事のひとつに「私はわかっている」「あの人はわかっていない」という見方があります 

これは無意識に自分を守り固める為の差別です
そして「わかっている自分」は「わかっていない誰か」を下にしてしまいます 
言葉や感覚の中に「今は」と「と思う」を加えてみて下さい

「今の自分はわかっていると思う」「今のあの人はわかっていないと思う」と

これがいつか「あの時の私はわかっていなかったのにわかっていると思っていた」事に気付いた時、自分を少し受け入れやすくします
また、「あの時もあの人はわかっていたのに、私はわかっていないと決めつけていた」と気付く何事かがあったとき、物事の見方が変わるのがスムーズになります 

感情が伴うと決めつけたくなります
時が過ぎて感情が落ち着くと、自分の決めつけに気付きます 

加速する時間の中で、日々変化し成長をする可能性を自分や他者に認めて下さい 

もうすでに、驚く程の様々な人生を送って、沢山の経験をして来ている魂ですから、見方を少し変える方法があると知れば(思い出せば)、そんなに難しい事ではなくなるでしょう

そしてそこに、ずっと求めていた安らぎというギフトも見つかるかもしれません
posted by 夏目佳弥 at 07:08| 東京 ☁| Comment(0) | 過去世 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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